大判例

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東京高等裁判所 昭和27年(う)939号 判決 1952年7月01日

控訴人 原審検察官 宮本彦仙

被告人 花輪義一

弁護人 渡辺達也

検察官 大越正蔵関与

主文

原判決を破棄する。

本件を横浜地方裁判所に差戻す。

理由

検事宮本彦仙の控訴趣意は同人作成名義の控訴趣意書と題する末尾添附の書面記載のとおりである。これに対し当裁判所は次のように判断する。なお弁護人渡辺達也の答弁の要旨は原判決は相当であつて控訴は理由ないものであるというにある。

検事の控訴趣意について

よつて、記録を調査するに、本件差戻前の第一審判決は、昭和二十六年六月二十五日東京高等裁判所において破棄され、該事件は原審に差戻されたものである。そして該判決における破棄の理由は、原審判決挙示の証拠だけでは、本件領置物件であつて鑑定人が原審鑑定したモルヒネ二包が被告人方で現に押収されたもの、即ち本件公訴にかかる麻薬と同一であると断定するには足りないのであるに拘らず原審はこの事実を確認するに必要な証拠で、必ずしも取調不能と断ぜられない点について、十分に審理を尽していないから原判決は審理不尽に基く理由不備の判決であるという趣旨に帰する。しかるに、記録に徴すると、差戻後の原審はその第一回公判において単に差戻前の第一審裁判所が取調べた証拠その他の公判調書について証拠調をなし被告人に対し本件薬品の入手経路その他若干の尋問をしたのみで、右控訴審判決が指示した事項については新たな証拠調等適当な審理をしないで結審した上、被告人を無罪と断じたものであることが明らかである。尤も、右公判調書の記載によると原審立合検察官亦裁判官から立証を促されたのに対し、他に立証なしと述べて何等新たな証拠調の請求を申立てなかつたことが認められるのであるが、もとより検察官は公訴を提起しこれを維持して法令の正当なる適用を請求する責務を有するものであり、特にその訴訟手続の中に多く当事者主義を採用しておる現行法の下においては真実発見のためには徒らに裁判所の職権行使に委ねることなく、苟くも公訴の維持に必要とする証拠調の請求は勿論その他必要な事項の調査をも請求しなければならないのであるに拘らず、右原審立会の検察官は右公判において何等新たな証拠乃至事実の取調を請求しなかつたことはその職務執行につき甚だ怠慢であるとの譏を免かれないところではあるが窮極において事実を発見して事案の真相を明らかにしなければならない事実審たる裁判所としては検察官の請求がないからという理由で、未だその訴訟が判決をするに熟しないにも拘らず、直ちに審理を終結するが如きは、その措置において妥当を欠くものというべく、特に本件におけるようにその上級審たる東京高等裁判所が、わざわざ原判決には審理不尽に基く理由不備ありとし、その審理を尽さねばならない要点につき相当詳細に説示して差戻したものであるから、その趣旨とするところに従い、仮令立会検察官がたまたま他に立証なしと述べたからといつて、裁判所は、かかる検察官の意見に禍いせられることなく刑事訴訟法第一条所定の趣旨に則り自ら進んで適当な証拠調を実施して、事案の真相を明らかにし以て個人の基本的人権の保障を全うしつつ正義及び公共の福祉の維持に務むべきであつたものといわなければならない。要するに原審が事茲に出でないで輙く結審して判決を言渡したことは審理不尽に基く理由不備もしくは事実誤認を敢えてした違法があり、この違法は明らかに判決に影響を及ぼすものと認められるから論旨は理由がある。

よつて刑事訴訟法第三百九十七条に則り原判決を破棄すべく、なお本件は同法第四百条本文に則りこれを原裁判所に差戻すべきものとする。

よつて主文のとおり判決する。

(裁判長判事 小中公毅 判事 鈴木勇 判事 河原徳治)

検察官の控訴趣意

原判決は「被告人は麻薬取扱者でないのに拘らず昭和二十五年三月三日東京都南多摩郡町田町原町田六の一二四二番地の自宅において麻薬であるモルヒネ約〇、〇三瓦を所持した」と謂う公訴事実に対し、(一)被告人が判示日時場所において薬品入の紙包二個を所持し相模原町警察署勤務の司法巡査鈴木重彦に之を押収されたこと。(二)右警察署長が紙包二個の薬品を被告人方から押収されたものとして国家地方警察神奈川県本部刑事部鑑識課技官加藤博に鑑定を依嘱したこと。(三)右加藤博が鑑定した薬品と本件領置の薬品二包(昭和二十五年押第三一八号)が同一物でありモルヒネ含有物であること。を認めることが出来るが、右(一)の押収薬品と(二)(三)の鑑定に係る薬品とが、同一であるか否かの点については既に取調べた一切の証拠によつても之を積極に認定することを得ず他に之を認め得る資料がないから結局被告人が判示日時場所においてモルヒネを所持していたという犯罪の証明無きに帰するものと謂わざるを得ずとして無罪の言渡をしたものである。併し乍ら原判決は次の通り事実の誤認がありその誤認が判決に影響を及ぼすことが明かであつて破毀を免れないものと信ずる。

一、本件は第一審裁判所において有罪と認められ(横浜地方裁判所昭和二十六年一月二十四日判決)た後、即日被告人より控訴の申立があつて東京高等裁判所に繋属した結果同年六月二十五日原判決を破棄し横浜地方裁判所に差し戻す旨の判決があつたものである。

二、仍つて東京高等裁判所における審理の経過を検案するに、(1) 弁護人が同裁判所に提出した控訴趣意書によれば、イ、被告人は警察の取調より第一審公判終了迄本件領置にかかるモルヒネ二包につき、果してそれが被告人方で押収されたものとあるか否かを確認していないこと。ロ、本件モルヒネにつき一審裁判所における証人市川実、同鈴木重彦の各証言によれば押収の際における包紙の色と領置のモルヒネの包紙の色とが一致せず証言相互の間に矛盾を来していること。ハ、国警神奈川県本部高見沢鑑識課長作成の「薬物の鑑定について」と題する相模原町警察署長宛回答書記載の嘱託番号(「相搜発第一〇四号」)と同本部加藤技官作成の鑑定書記載の鑑定依嘱番号(「相捜発第一〇八号」)とが一致しないこと。が指摘され被告人方で押収された薬品二包が果して本件領置にかかるモルヒネ二包であるか否かは断定し難いとしている。(2) ここに於て二審裁判所は職権を以て右加藤技官を取調べた結果同裁判所判決引用の如く「相模原町警察署から持つて来たときの包紙は一枚紙で包んであつたと思います。その包紙はこのお示しの領置品と同一で、その時もこのとおり鉛筆で〇、〇一五瓦と書いてありました。それで私はどうしたのかと聞いたら警察の近くの薬局で計つて貰つたとのことでした。当時同警察署から麻薬の鑑定を依頼されたのは本件の前にも後にも大分やつています」旨の証言を得たのである。

三、従つて東京高等裁判所で少くとも略々確認された事実は、加藤技官がモルヒネと鑑定した本件領置に係る薬品二包は相模原町署より依嘱された物件であり包紙も受領したときの包紙と同一であること之であり、残された疑問は、(1) 相模原町署は当時本件以外にも多数麻薬事件を扱つていなかつたか (2) 本件薬品押収後係官相互の間における引継及び保管につき手違いがあつて包紙が違つていたのではないか。の二点である。而して同裁判所は右二点に基き原審が「包紙は違つていても内容は同一であるか、又は包紙が違うという証拠は措信出来ないものであるかという点に関し」審理を尽すことを期待して一審判決を破棄し本件を原審に差戻したのである。

四、原審が右の期待に応えるためには少くとも次の措置をとるべきであつた。即ち、(1) 前記加藤証人の二審における「当時相模原町警察署から麻薬の鑑定を依頼されたのは本件の前にも後にも大分やつています」旨の証言に対し、一審において市川証人は「相模原署では麻薬事件は本件が始めてであります「(記録第一〇六丁裏)と証言しており而も同証人は「昭和二十三年二月七日から右証言の当時迄相模原町署に務めていた」(同一〇二丁裏)警部補である。従つて原審は更に相模原町署における当時の刑事事件簿、国警神奈川県本部における鑑定依頼受附の帳簿類を取調べて孰れの証言が事実であるかを確かめなければならない筈である。かくして初めて相模原町署において当時本件押収の薬品を他の同種事件の押収薬品と混同する機会があつたか否かを判定し審理の目安をつけることが出来る。(2) 本件モルヒネの同一性については二審の審理の結果加藤技官の手に渡る前に之に関係した係官につき審理が残されていること既述の如くであり、而も一審において本件モルヒネを押収したのは鈴木、植田の両巡査、被告人を取調べたのは市川警部補、鑑定依嘱のため加藤技官の手許迄本件モルヒネを持参したのは右植田巡査であることが明かにされている以上、原審としては当然之等三名の再訊問をなすべきであつた。(3) 殊に二審において加藤証人が記憶を喚起し、一審において証言し得なかつた新しい極めて具体的な証言――前記本件領置にかかるモルヒネ二包の包紙に記載してある〇、〇一五瓦なる鉛筆書の事実、及び右二包の持参者が相模原町署附近の薬局に立寄り重量を計つて貰つたと云つていた事実――をしている以上、少くとも薬包の持参者たる前記植田巡査、及び右薬局の主人を喚問し右加藤技官の証言を確かめるべきであり、更に之を手掛りとして新たな証言を抽出し得た筈である。

五、然るに原審は僅かに一回の公判を開き、被告人より本件領置にかかるモルヒネについての意見、弁解を徴したにすぎず、而も即決で無罪を言渡したものである。原審が当然なすべき新たな証拠調を怠つたのは或は立会検察官が之を請求しなかつた責に帰すべきものとされるかもしれない。然し乍ら検察官の側においてその責任の一半を負うにもせよ原審が審理を尽さなかつた事実は到底之を払拭しうるものではなく、刑事裁判の本質に照らし極めて遺憾であつたと云はねばならない。

以上の通り原審は本件差戻しの趣旨を理解せず、当然なすべき審理を尽さなかつた結果本件押収の際における薬品と本件領置にかかるモルヒネとが同一に非ざるものと誤つて認定したものであつて、若し前記の如き審理を尽し右のような事実の誤認をしなかつたならば当然判決の結論が変つていたと思料されるので到底破棄を免れないものと信じ控訴に及んだ次第である。

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